3rd memo
昨日は、父を納骨する日でした。
少し早めの3回忌も兼ねてを予定していただけど、まだお墓に入りたくなかったのかな?
今朝、おばあちゃんが亡くなりました。子どもじみているけどお空に行ったと思っている。
数ヶ月前から、おばあちゃんの体調が一気に悪くなって先月から入院していました。
常にいつなくなってもおかしくはないとは言われていました。
昨日、父の3回忌の法要を終わらせたとき、病院からおばあちゃんが危篤状態との連絡があり、納骨は延期に、母親と叔母は病院に向かいました。
コロナ禍にも関わらず、面会はいつでも許可されていたので、
母親と叔母は毎日会いに行っていました。
大変そうだったけど、母親だからかな?大変だけど苦ではなかったように感じていました。
私は、母親がそう言う状況になったときに、同じ事が出来るかと言われたら、
出来ないんじゃないかと思ってしまってます。。。時間が解決してくれるのか。。。
最小限で呼んでいた父方の親戚がいるから、私と兄はお寺に残ってお昼食べたり少し話したり。。
父は養子だから、父方の親戚は血の繋がりがない人もいるし、
関係は密接ではないけど、空気感みたいなのはなんとなく心地よく感じる。
そんなこともあり、どんな状況でも父方の親戚に会えるのは私は嬉しく思ってしまいます。
そんなこともあり、私と兄は一足遅れておばあちゃんがいる病院へ。
肺を患っているから、酸素マスクしているし、意識が混濁している状態でした。
先に出た母親と叔母と従姉妹はお昼を食べていなかったから、一旦お昼を食べにおばあちゃんの家に行って、その間は兄と2人でおばあちゃんの手を握って好き勝手話していました。
看護師さんが聞いたら、過激と言うか酷い孫だと思われるかもしれないような会話をしていました。
それでも、手を握ったり摩ったりして名前を呼び続けるよりは、
孫が騒がしく話している方がおばあちゃんは良いだろうと勝手に思うことにしました。
所々反応するし、視線がはっきりして何言っているかわからないけど、もう話せないけど一生懸命口を動かして何かを伝えようとしてくれていました。
1時間半くらいそんなことをしていたら母親たちが戻ってきたから私たちは一旦帰宅しました。
父とは違うけど、おばあちゃんも家が比較的に近かったから、子どもの頃は母が外出中に困ったら電話して、何度も飛んできてくれたおばあちゃん。
家族旅行も毎回のように一緒に来てくれました。
コロナになって前ほど会えなかったけど、
父の時と一緒で、寂しいけど後悔みたいな"たられば"は思い浮かばない。
きっとこの感情はとても幸せな事なんだろうと思います。
父が亡くなったときに、寂しいと悲しいは違うと感じた。
冷めているとか思われそうだけど、基本的に生き死には誰にも選べないから、
その人が亡くなった時点は、その人が精一杯生きたところ。
今までいつでも会えた人、私のことを支えてくれた人が亡くなるのは、
寂しいけど、その人への供養とかって考えていいのかわからないけど、今まで過ごした記憶とか感じたことを心に刻んで、私は私なりに精一杯生きていくのが一番だと思っています。