Reneejms daily memo

気ままに書き留める

自分のこと、家族のこと

日記とか苦手で更新もままならず。。。

一念発起して更新頻度を上げていければと思っています。

 

ずっと残そうと思いながら、放置してしまったサイコパス毒母親から解放されて、

約1年前から今の生活になったことを書いてみます。

今日は、両親のことと家を出るまでの概要的なことから書こうと思います。

 

もし、読んでいる人がいるのなら、きっと毒親に悩んだり苦しんでいる人ではないかと思います。

平凡ですが、自分次第で生活は変えられますよ◎

大変だけど、そのためには勇気と行動力が必要と痛感しています。

私の場合は、兄・幼馴染・恩師・パートナーに恵まれたことが大きかったけど、

やっぱり行動を起こすのは自分の意志だと思います。

 

私は、都内で生まれ育った30代半ばのOLです。

少々複雑な環境で育った両親の元でぬくぬくと暮らしていました。

そんな生活から、今の一人での生活になったのは、冒頭でも触れているサイコパス毒母親から解放されるため。

実家は、両親と姉兄の5人家族でした。

気が向いたら姉兄の事を書くかもしれませんが、まずは毒母親とのことを書きます。

 

私と両親のことから。

会社員の父と、専業主婦の母親に育てられました。

父とは性格やテンポがとかテンションが一緒なので、

世間的には仲良しな父と娘だったと思っています。

何より父は勉強家で仕事で必要になった知識は大学で学位を取り直したり、

公開講座とか講演会のために時間を作る人でした。

自分勝手という見方もあるかもしれないけど、そんな父を私は誰よりも何よりも尊敬していました。

何より尊敬していたのは、感情的にならずじっくり話も聞いてくれたこと。

全て過去形なのは、コロナが流行る少し前の2020年1月に他界しました。

その日の朝、いつも通り会社に行く私を、いつも通り「いってらっしゃい」って見送ってくれたのが最後で急死でした。

比較的に残業が多い私は、一人だけ遅くに食べる晩御飯の時に父が付き合ってくれたから、その時間に悩み事とか愚痴とかを聞いてもらうのが日課でした。

だいぶ落ち着いたけど、3年半が経った今でも、ふとした時に寂しくて涙が出てくる。

 

母親が毒親でも実家にいたのは、父がいたから。

理不尽なことがあっても、父が話を聞いてくれたから、解決策が生まれた。

きっと、母親を放置していたと思われるかもしれないが、

家族が不自由なく一生懸命働いて、多少は我慢することはあっても、お金の心配とかなく不自由なく生活ができるようにしてくれていた。

欲を言えば、毒母親を抑え込んでくれたら良かったけど、

追々分かったのが4人を養う収入を得るには、仕事とかで家にいる時間が少なかったから見えてないことが多かったみたい。

 

母親とは、仲悪いわけではなかったけど、性格とか考え方が違って、

何より、思い通りにならないと感情的になり手がつけられなくなる。

直接的に暴力は振るってこないけど、物に当たったり、

人を追い詰めるて思い通りにしようとする。

最近、巷で騒がれている保育現場で虐待と騒がれている内容の一部は母親から経験がある。

子ども時から、機嫌を損ねないように生活をしていた。

それでも姉兄は反抗していたけど、歳とともに拘束が緩く放っていたから、

窮屈だけど私は言われない範囲で生活をしていた。

ただ、外面が凄まじく良いから、一見優しく理解のある母と思われていたようだ。

自分の都合の都合の良い様に物事を捻じ曲げ、人格否定、外見否定、嘘は日常的だった。

人のせいにするのが嫌で、なんでも自分で決断したことと思っていたから、

自分のことは嫌いじゃないけど自尊心はことごとくない。

 

 

毒親で苦しんでいる人の中には、両親ともからって人も少なくないと思うから、

私はまだ恵まれた環境だったは自覚しています。

ただ、父が亡くなってから独裁国家になった家にはいられないと思い、

兄とも相談して結論を出した。

ずっと家から出たいと思いながらも思い留まっていたけど、

父がいなくなってからの金銭面と、彼氏のことで家を出ることにした。

結婚を視野に入れて付き合い始めたから、母親にも彼氏のことを話した。

彼とはお互いの年齢的なこともあるけど、

私的には家族のことも理解してくれたから、結婚も考えられると思って付き合い始めた。

母親も最初は肯定的だったけど、気に食わないことがあったみたいで突然反対し始めて、

会うこともままならなくなったり、別れろと言ってきたり。。。

家を出たのも、結婚を反対されたことが理由で、家を出てからは彼の家にいると母親は思っている。

 

彼氏のことを否定されるのも嫌だったけど、

最終的な決定打は、必死に働いてもお金は家のことで消えて貯金はできないし、

父が残してくれたものがあっても、お金がないって言ってきたり人のお金とか航空会社のマイルを使うようになったのがきっかけで家を出ることを決めた。

 

家から出ると決めてから、自分で賃貸契約をしてほぼ半月かけて荷物を持ち出した。

自分の荷物はほとんど持ち出したのに、家を出るまで気づかなかった母親。

結局は自分のことにしか興味がないから、家の中の変化にも気づかない。。。

 

最終的には家のポストに手紙と、その月の生活費を入れて家を出ました。

細かいことは今度書きますが、家を出る前に戸籍は分籍して独立させて、

警察に相談して住民票とかを母親が見れない様にしています。

 

 

約1年が経って、やっと気持ちが多少は落ち着いたけど、

今でも変な夢を見たり、うなされています。

長年苦しんだ傷がすぐに直ぐに癒えることはないけど、

毒親に苦しむ人が一人でも多く、落ち着いた日々を送れる日が来ますように。

 

良い週末を〜